反田恭平プロデュース JNO Presents リサイタルシリーズ
能楽発祥の地・大和で
能楽の魅力を堪能する1日!
~能楽の魅力探訪~
能 「高砂」八段之舞 ほか
令和6年度 奈良金春会演能会
能「井筒」(いづつ)
秋の日、旅の僧(ワキ)が荒れ果てた在原寺に立ち寄り、里女(前シテ)と出会う。女は在原業平と紀有常の娘の「筒井筒」の恋物語などを語り、自分こそ有常の娘であると明かし消え失せる。里の男(アイ)から話を聞いた僧の夢に、有常の娘の霊(後シテ)が生前の美しい姿で現れる。霊は業平の形見の衣装を身につけ、恋慕の舞を舞う(序ノ舞)。やがて夜が明け、僧の夢も覚める。
『伊勢物語』をもとにした世阿弥の作品。高安の女のもとに通う業平の身を案じた有常の娘の歌「風吹けば‥‥」や、業平の求婚の歌「筒井筒‥‥」の物語が語られます。舞台には薄の付いた井筒(井戸)の作り物が置かれ、霊が井筒をのぞきこむ場面は見どころの一つ。
能「野守」(のもり)
諸国をめぐる山伏(ワキ)が大和国の春日の野を守る老人(前シテ)に会い、名所の池「野守の鏡」を教わる。本当の「野守の鏡」とは、昼は人、夜は鬼となって野を守る鬼神の持つ鏡であると、老人は語り姿を消す。里の男(アイ)が「野守の鏡」について語り、勤行を勧める。夜になり、山伏が祈っていると鬼神(後シテ)が鏡を持って現れる。鬼神は天上界から地獄、全宇宙の隅々までを鏡に映して見せ、大地を踏み割って消え失せる。
前半では「はし鷹の野守の鏡得てしがな、思ひ思はずよそながら見ん」の和歌説話が語られます。「野守の鏡」の歌の話を静かに語る老人と、力強い動きを見せる鬼神は対照的ですが、どちらにも神秘的な雰囲気が漂います。世阿弥作。
解説 中司 由起子
令和7年度 奈良金春会演能会 予定日
4月20日(日) 6月29日(日) 10月19日(日)
令和7年度 奈良金春会連合 謡曲・仕舞会 予定日
7月27日(日)
なら燈花会能 ~ 故 石原昌和を偲ぶ ~
令和6年度 奈良金春会演能会
能「実盛」(さねもり)
加賀の国篠原(石川県)の里の男(アイ)が、他阿弥上人(ワキ)のもとへ向かう。男は、上人が念仏の時に独り言を言う訳を尋ねることにする。上人と供の僧(ワキツレ)が説法をおこなっていると、老人(前シテ)が聴聞に来るが、老人の姿は上人以外の人には見えない。老人はこの地で討死した斎藤別当実盛の幽霊と明かして、池のほとりに消え失せる。里の男が独り言の訳を尋ね、実盛の物語を語る。そこで上人が弔いをすると実盛の霊(後シテ)が老武者姿で現れる。霊は、討死した実盛の首を池の水で洗うと、鬢髭を染めた墨が流れ白髪に戻ったこと、実盛が錦の直垂で出陣をしたことを物語る。続いて、手塚太郎光盛に討たれた最期の有り様を見せ、さらなる供養を願う。
老武者の心意気と悲哀を描いた修羅能です。実盛の幽霊が出現したという巷説をもとに作られたとされます。世阿弥作。
能「鍾馗」(しょうき)
中国の終南山の麓に住む男(ワキ)が、皇帝に意見を申し上げるために都へ向かう途中、怪しい雰囲気の男(前シテ)と出会う。男は、悪鬼を滅ぼし国土を守護するという誓いを皇帝に伝えてほしいと頼む。問われるままに自らは鍾馗であると名乗り、進士の試験に落第して自殺したが、今はその執心を捨てて善をなすと言って姿を消す。山の下に住む男(アイ)が鍾馗の物語を語り、旅の男は鍾馗の供養をする。やがて鍾馗の神霊(後シテ)が宝剣を手に現れ、悪鬼を切り払う。
世の無常を静かに語るクセと、後半の剣を振う豪壮な鍾馗の様子が見どころです。鍾馗は、病鬼を追い払った故事で知られる神であることから、日本でも、魔除けとして像が屋根等に飾られたり、端午の節句のモチーフになったりしています。
解説 中司 由起子
次回予告
7月21日(日) 連合謡曲仕舞会
10月20日(日) 能「井筒」髙橋 忍 能「野守」金春 嘉織
令和6年度 奈良金春会演能会
能「小袖曽我」(こそでそが)
曽我十郎祐成(シテ)とその弟五郎時致(ツレ)が、家来の団三郎・鬼王(トモヅレ)を伴い登場。兄弟は、富士の裾野でおこなわれる源頼朝主催の巻狩で、父の敵工藤祐経を討とうと決意する。決行前に兄弟は母(ツレ)に会い、五郎の勘当を許してもらおうとする。十郎は乳母の春日局(アイ)に案内を乞い、母と対面。しかし母は五郎とは会おうとせず、再び勘当を言い渡す。立ち去ろうとした五郎を連れ、十郎は母を説得にかかるが今度は兄弟揃って勘当となる。二人は懸命に決意を述べ、母の情にすがりつつ泣く泣く退出する。ついに母は二人を呼び戻して勘当を解く。心を通わせた母子は門出を祝って宴を設け、名残を惜しむ。兄弟は勇む心を胸に、揃って舞を舞う。
『曽我物語』には、十郎が母に小袖を乞う場面がありますが、現在の能にはありません。兄弟は「男舞」を相舞します。
能「西行桜」(さいぎょうざくら)
都の西山に住む西行(ワキ)が、能力(アイ)に庵の花見禁制をふれまわさせる。しかし都の人々(ワキツレ)がやって来て花見をさせてほしいと頼むので、西行は仕方なく庵の桜の見物を許す。そこで西行は、心静かに桜を眺めることを妨げられたのは、桜のせいであると歌に詠む。すると夜、西行の前に老木の桜の精(シテ)が現れ、桜に罪はないと西行を諭す。精は都の名所の桜の美しさをたたえると、舞を静かに舞い(序ノ舞)、夜明けと共に消え失せる。
老木の桜の精と西行が最後には心を通わせ、春の夜のひとときの出会いを惜しみます。
解説 中司 由起子
次回予告
6月23日(日) 能「実盛」金春 穂高 能「鐘馗」金春 憲和
7月21日(日) 連合謡曲仕舞会
10月20日(日) 能「井筒」髙橋 忍 能「野守」金春 嘉織
Nara for Culture とは
これまでの11回の開催にわたって奈良のまちを音楽で彩ってきた音楽祭「ムジークフェストなら」は、令和6年度より「Nara for Culture」として大きく発展します。
「奈良を “クリエイティブ・アーティストが集まる場” へ」 をテーマに、魅力いっぱいの音楽祭「Nara for Culture~ムジークフェストなら2024~」の開催のみならず、演奏家、そのなかでも特に次代を担う若手演奏家の「挑戦」と「成長」を支援する「Nara for Culture~ムジーク・サポート~」を新たにスタートします。
いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
あらすじ
のどかな春のある日、都の天皇に仕える臣下が、奈良の春日大社に参詣します。境内には、ナラノヤエザクラを仰ぎ愛でている老人が一人、立ち去る気配はありません。臣下がそのわけを尋ねると、これが古人が歌に詠んだ「いにしへの奈良の都の八重桜…」であると言い、春日大社の起こりについて詳しく語り始めます。そして我こそ水谷神社の神の化身であることをほのめかして姿を消します。
その夜のこと、臣下がゆめうつつの状態でいると、水谷の神様が現れます。ナラノヤエザクラが咲き誇るなかで、平穏に栄える世を寿ぐのでした。
能《奈良八重桜》復曲、初演に至るまで
室町時代から現代までに創られた能は三千を超え、大和を舞台とする能は百二十二あるそうです(法政大学名誉教授・能楽研究者=西野春雄氏)。ナラノヤエザクラを題材とするこの能もそのうちの一つですが、江戸時代以降は演じられず埋もれたままになっていました。「奈良八重桜の会」は、設立20周年となる令和3年、興福寺の多川俊映寺務老院を通じてこのことを知り、ぜひ復曲したいと思い立ちました。資金はクラウドファンディングで募り、奈良ゆかりの「金春流」シテ方能楽師、金春穂高氏に復曲を依頼、晴れて初演の日を迎えることができました。
古来、興福寺東円堂の前に一本の美しいナラノヤエザクラがあったことは、伊勢大輔の詠んだ「いにしえの奈良の都の八重桜…」をはじめ、『沙石集』『七大寺巡礼私記』『多門院日記』など多くの歌や物語で知ることができます。この復曲能《奈良八重桜》も、そんな古典のひとつと言えましょう。
ナラノヤエザクラ
あらゆる桜のなかでいちばんの遅咲き。蕾は真紅、こぶりで清楚な花を開くと淡いピンク色になり、散り際に再び紅色を濃くする。奈良県、奈良市の花。東大寺塔頭、知足院のものは国の天然記念物。奈良公園に約700本あるほか奈良女子大学、大和文華館などで見られる。
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